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特集 21世紀の皇室像を求めて
国民と苦楽を共にされる皇室よ、永遠なれ

文藝春秋「諸君!」 第38巻 第10号 2006/10/1発行

江森敬治(毎日新聞編集委員)/岡田直樹(参議院議員)/松崎敏弥(皇室ジャーナリスト)

 松崎 秋篠宮紀子妃のご容態は順調に経過しておられ、この座談会が活字になる前後にはご無事に出産されていることと思います。前置胎盤で帝王切開の手術を受けられるということで少し心配しましたが、長女の眞子さま、次女の佳子さまを取り上げられた愛育病院の中林正雄院長が担当されるそうですから、まず安心と思います。中林さんは普段から紀子妃の定期健診を担当していて、紀子さまとの信頼関係もまったく問題ないようですからね。

 江森 ええ、秋篠宮ご夫妻としてはお医者さまを信頼され、すべておまかせになられて、ご出産までの日々を淡々と過ごされているようですね。私は取材を通じて、秋篠宮ご夫妻を知り、『秋篠宮さま』(毎日新聞社)という本も書かせていただいたこともあるのですが、ご夫妻についていつも感心するのは、常に自然体で臨まれていることなんです。ですから今回は男の子が生まれ、皇位継承者の可能性が高まることもありえるということで、今まで以上に世間の注目を集めています。こうした国民の期待は感じてはいらっしゃるでしょうけれど、ご夫妻はマイペースを崩さないで、これまでのご出産とあまり変わらずに過ごされているように思います。男の子でも女の子でも元気な赤ちゃんが生まれてきてほしいと願われていることはもちろんのことです。

 岡田 それがいちばんですよ。男の子でも、女の子でも本当におめでたいことで、無事ご出産をお祈りしたい。ただ、男女どちらがお生まれになるかによって、お世継ぎの問題が大きく変わってくるのもまた事実ですね。
 私は雅子妃と大学時代に一年間だけ同窓だったのですが、当時は、皇室のことにあまり強い関心は抱いていませんでした。しかし、その後、皇太子妃となられ、また私が地元・金沢の北國新聞で記者をした後、二年前から国会議員になりまして、皇室典範の改正も問題になりましたので、今いろいろと勉強させていただいております。
  もし秋篠宮家に男児ご誕生となれば、おそらく皇嗣の問題は当面解消されるでしょうね。国会でも、皇位継承権や継承順位の変更を伴う皇室典範の改正は議論しにくい雰囲気になると思います。
 その反面、もし女児ご誕生の場合には、皇室典範改正の議論が再燃し、「ポスト小泉」政権の重要課題となるのは避けられないと見ています。

  松崎 いつか見た光景がまた繰り返されるわけですね。二月七日の衆院予算委員会で小泉首相が秘書官に紀子妃ご懐妊を耳打ちされて、「ほんとか」みたいな反応をしていたのがずいぶん昔のことのように思えますが、半年たって再び男系派vs.女系派の戦いが繰り広げられる可能性もありますね。

  岡田 あの時、小泉総理が女系、長子優先容認論で進めた議論のペースはちょっと早すぎたかなと思うんですよ。有識者会議の議論も歴史的、文化的な深みに欠けていましたし、議論を尽くした感がありませんでした。
 やはり有史以来の皇室の伝統(男系)に触れるのですから、もっと慎重に議論をすべきですね。今度、女児ご誕生となれば、事態はより切迫したものになりますが、拙速は戒め、じっくりとした議論をすべきでしょう。
熱はすっかり冷めた 松崎 昨年から今年はじめにかけての男系派vs.女系派の論議では、議論が進むにつれ、男系維持派が盛り返してきたのがとても興味深かったですね。

 江森 岡田さんは典範改正論議の時はどうされたんですか。

 岡田 私は基本的に男系維持に賛成で、男子がいない場合は、女性天皇を容認すべきである。ただし、そのご結婚相手は皇室の男系を受け継ぐ旧皇族の男子が望ましい、という折衷案的な考えです。

 松崎 国民全体としては女性・女系天皇容認が多数派だったのに、国会議員には男系派が意外と多かったですね。

 岡田 そうですね。これが皇室以外なら、男系も女系もそれほど気にしないんですけどね。たとえば、よく安倍晋三官房長官について、“岸元総理のDNAを受け継いでいる”という話が出ますが、それは母方のDNAなんですよね。しかし、だれも安倍さんについては女系とか男系とか言わないんです(笑)。安倍さん自身は皇室に関して男系論者のようですが。

 松崎 たしかに。Y遺伝子(男系のみに引き継がれる遺伝子)を引き継いでいないとはだれも言わない。麻生外相だって、吉田茂の孫と言っても娘の系統ですからね。

 岡田 Y遺伝子云々というのはあまり意味がないんじゃないかなと思います。Y遺伝子を重要視するならば、長い皇室の歴史のなかで臣籍降下された方々の子孫は民間で広がっているので、全国に天皇家のY遺伝子を受け継いでいる人は無数にいますよ。
 ただ、皇室の伝統もありますから、できるだけ男系を維持したほうがいい。また、長子優先とはせずに愛子さまに弟さんが生まれた場合には、弟さんのほうがいいのではないかと思います。

 江森 男子優先のお考えですね。

 岡田 やっぱり女性天皇の場合、お婿さんを探すのは、たとえ旧皇族が対象でも非常に難しいことです。皇太子妃を選ぶのにも大変苦労したわけですからね。男子がおられれば、男子優先のほうが合理的だと思います。
 スウェーデンでは、継承法を改正した途端、男のお子さんが生まれたんですが、法律通り長女が皇太子となっています。女性の皇太子もいいのでしょうけれど、国王は内心かなり心残りだと聞いたことがあります。

 松崎 その後、国会で典範改正問題はどうなっているのでしょうか。いまも勉強会のような形で論議されているという話を耳にしましたが。

 岡田 ええ、自民党内でやっておりますけれど、一時期のような熱はすっかり冷めてしまいました。紀子さまご懐妊のあとも勉強会は何回かやっておりますけれど、ご懐妊のニュースが入る前のような、すぐにも法案を出そうという機運はなくなってしまいました。政治家は熱しやすく冷めやすいですからね。

 松崎 せっかく議論が盛り上がって、いろいろな意見も出たわけですから、たとえ男子のお世継ぎが誕生しても議論を再開すべきだと思います。男の子であれ、女の子であれ、将来にわたって皇位継承の問題はずっと続いていくわけですから、たとえ継承が十年先、二十年先であっても、いまのうちに国民的議論を経たうえで、きちっと改正をしておいたほうがいい。

 江森 秋篠宮さまは四十歳ですから、もし男の子が生まれたとしても、四十年間で皇位継承者がお一人だけしか生まれなかったとなると、さすがに心もとない気もします。皇位の安定的継承を考える意味でも、より現実的な方法を考えるべき時期に来ていると思いますね。

 松崎 秋篠宮妃のご出産を間近にしていますと、いまから四十七年前のことを思い出します。あの夏も暑かったですが、私はカメラマンといっしょに、軽井沢にご静養されていた美智子妃のご様子を撮りに行ったんです。ちょうど皇太子を身籠っていらして、その時のお姿がいまでも目に浮かびます。
 私が「女性自身」編集部に入った昭和三十三年は、ちょうど天皇と美智子さまがご婚約された年でした。身籠られた美智子さまを軽井沢でお見かけした時、私はまだ二年目の新米記者で、デスクからとにかく写真が撮れるまで帰ってくるなと言われて送り出されていました。当時は今とちがって取材のルールがあまりうるさくなかったものですから、お泊りになっているホテル周辺に日参しまして、今日はどんなご予定なのかと警備の警官に聞いて、写真が撮れたらすぐに東京に取って帰すという状況でした。行き当たりばったりですが、まだまだのどかな時代でしたね。

 江森 私が皇室取材にかかわったのは秋篠宮ご夫妻のご結婚(九〇年)の頃が最初ですから、すでに時代はそれほどのんびりとしていませんでした。京都支局から応援として駆り出されたんですが、その後、東京社会部に異動になり、宮内庁担当となって皇太子のお妃候補の取材に駆け回ることになりました。その後、一時期、宮内庁担当を離れましたけれど、秋篠宮さまとの個人的なお付き合いを通じて、皇室のあれこれについて見聞を深めさせていただいております。いまは取材にいろいろと制約があって、なかなか自由にできませんね。記者としてはうらやましい時代だったと思います。

 松崎 そうですね。雅子さまの今度のオランダご静養でも、マスコミ各社は東宮ご一家がお散歩するようなシーンを取材すべく頑張っているようですが、なかなか難しい。その点、いまの皇室担当記者たちは苦労していると思います。

<雅子さまの御礼状>

 岡田 私が雅子さまと初めてお目にかかったのは、昭和六十一年、東大法学部学士入学の試験会場でした。自分の一つ前の席に、エキゾチックな美しい女性が座っていて、英語の試験の時、問題を見るなり、サーッと日本語に訳し始めたんですね。まるで同時通訳みたいなスピードで書いていくので、びっくり仰天して、あとで「いやあ、すごいですね」と話しかけたら、自分は高校から海外にいたので、どちらかというと英語を読むより日本語を書くほうが時間がかかるんですとお話しされたんです。それが小和田雅子さんでした。
 別にカンニングしたわけではないんですけれど、もう一人の女性と私と都合三人合格しまして、学士入学者は授業が重なることが多く、机を並べさせていただきました。
 あえてここでは小和田さんと呼ばせていただきますが、小和田さんはやはり大変優秀な人でした。お父様が当時、外務省の条約局長から大臣官房長になられる頃で、法学部の学生ですから、偉い外交官の娘だということはみな知っていましたが、親の七光りというよりも、ご本人が輝いていました。知力体力抜群で、ハーバードでも大変優秀だったと聞いていますし、ともかくスーパーウーマンという印象です。まあ普段から周囲には外交官志望の学生が自然と集まってくるような、常に輪の中心にいる人でした。

 江森 雅子さまの名前がお妃候補にあがる前の話ですね。

 岡田 ええ、その年の夏に外交官試験に通って、ひと段落ついたから国内旅行したいというので、実家がある金沢をご案内したんです。幼いころからの親友の女性と二人で来られたんですが、その時、小和田雅子さんから私の伯父宛にいただいた礼状がここにあります。いま読んでみると、書き出しからしっかりしていて、大学生にしてはずいぶんと行き届いた手紙なんです。
〈毎夜の虫の音も高らかに、すっかり秋らしくなってまいりました今日この頃ですが皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか〉

 松崎 ほう、しっかりした文面で、しかもきれいな字ですね。

 岡田 ええ、便箋四枚、しかも上等な「鳩居堂」(銀座の有名な文房具店)の和紙にペンで書いた礼状ですから、もらったほうも感心して取ってあったんです。
 中味を読んでみますと、外国暮らしが長かったせいか、日本文化に触れた喜びが書いてあるんですね。一部だけ読んでみます。
〈美しい物を沢山拝見すると、本当に心が和むものでございます。その上、皆様には大変温かく迎えて頂き、お茶も有難く頂戴致しました上に、本当に可愛らしい硯箱をお土産に頂き、どうも有難うございました。金沢の素敵な想い出にさせて頂こうと思っております。また、せいぜい書も勉強しなくては、と思います。私達のように、ふらふらとお店にお寄りした者に、温かなお心遣い、本当に有難うございました。
 その後私共は能登半島を二日でまわりとても楽しい旅行になりました。日本の美しさに改めて感激する旅となり、東京に帰って参りました今もまだ余韻に浸っている状態でございます〉
 金沢は金箔の産地ですから、美術商の伯父が金箔を貼った硯箱、まあ二、三千円のささやかなものですが、それをプレゼントしたんですね。それに対する礼状というわけなんです。
 ひとついいなと思いましたのは、雅子妃についてはよく、雑誌などで外国にばかり行きたがるという論評がありますけれど、「日本の美しさに改めて感激する旅となり」とか、「せいぜい書も勉強しなくては」と書いてある。決して外国かぶれというわけではなく、日本の自然や文化を深く愛しておられる。そのことを知っていただきたくて、あえて昔のお手紙を紹介させていただいたんです。

 松崎 こういった礼状は大学生にはなかなか書けないんじゃないですか。お世話になった方に礼状をきちんと出すというのは小和田家の教育なのでしょうね。そういえば、最近もお正月に愛子さまと書道をされているという報道もありましたよ。

 岡田 あ、そうですか。書道には心を落ち着かせる働きもあるそうですからね。
 小和田さんは外交官試験に合格されたために一年で中退されて、翌年から外務省に入られたんですが、その後もグループで尾瀬や木曾街道を歩く機会がありました。当時から山歩きがお好きだったんですね。
 そんな時に、ふと「あなたは本当にキャリアウーマンで海外生活も長くなると思うけど、この先もずっと独身でいるんですか」と、いまにして思うとけっこう失礼なことをお聞きしたんです(笑)。すると「仕事は続けたいけれど、やはり夫や子どもの支えがないとやっていけないかもしれない。わりと寂しがり屋なので」と意外に優しい古風な答えが返ってきたので、なんだかほっとした思い出があります。

 松崎 お妃候補として騒がれた時には「スーパーウーマン」の印象が強かったですけど、いまの雅子さまのご様子を拝見していると、仕事をバリバリされる方というよりも、ご家族と過ごすのを大切にされる方だというのはよくわかりますね。

 岡田 ええ、金沢で記者をしている時に、皇太子ご夫妻が石川県に行啓されまして、畏れ多いことに妻ともどもお泊りの施設に呼んでいただいたことがあったんです。ところがたまたま妻がお腹を大きくしておりまして、まだお子様のいらっしゃらなかったご夫妻が気を悪くされないかと心配しながらうかがったのですが、ご夫妻とも会った途端、「わあ、男の子、女の子?」と本当に屈託なく祝福してくださったことがありました。
 この方ならば皇室に入っても、きっとやっていけるだろうと思っていましたから、ご病気になられたと聞いた時にはさすがにショックでしたね。

 松崎 お妃候補に名前が挙がったときに、私もすぐに目黒のご自宅にうかがったんです。そうしたら「私はぜんぜん関係ありません。殿下にお会いしたことはありますが、お妃候補ではありません」とキリッとした口調でお話しになった。お妃候補のなかで、YES/NOをはっきりいえるのは彼女だけでした。当時は真ん丸いお顔で、金太郎さんみたいなショートカット。これは殿下のタイプだと一目見て思いましたね。
 私もあの時の雅子さまのイメージがあるから、ご病気になられたのはショックなんですよ。彼女なら美智子皇后のように、どんな困難でも乗り越えていかれるだろうと思いましたからね。

 江森 皇太子ご夫妻がご結婚されたあとの記者会見で、「皇室に入ってのご苦労は」との質問に、雅子さまが「常に大勢の人に見られることがなかったので、最初は驚きました」と答えられています。これは非常に素直なお気持ちだったと思うのです。
 岡田さんのお話をおうかがいしていると、雅子さまの素顔はとても気さくで、いろんなことを素直にお話しになられる方だと思いました。ところが皇室の中に入られると、やはり独特なものがありますから、どうしても自分を出さないで抑えてしまう。あるいはいろんなしきたりの中で自分の持ち味を生かせないで苦しまれる。あれだけの方がご活躍できないのはもったいないなという気がしますね

 松崎 紀子さまはどうなんですか。

 江森 紀子さまはスムーズに皇室に溶け込んでいるように見えますけれど、やはり苦労はあったと思います。ご結婚された年に即位の礼や大嘗祭などの重要な儀式がたくさんございましたからね。天皇、皇后両陛下や秋篠宮さまたちのご支援はあったと思いますが、皇室に十分に慣れない若い妃殿下として、大変な時期だったのではないでしょうか。皇室に嫁がれた方は、みなさん素晴らしい方々ですから、宮内庁や側近の方たちには妃殿下方の長所や優れた持ち味を今まで以上に生かせるように工夫していただきたいですね。
 典範改正問題は、国民が皇室について深く考えるための大きなチャンスでもあると思います。せっかくの機会ですから、法律問題にとどまらず国民と皇室とのより良い交流のあり方であるとか、皇族を取り巻く環境の見直しといったものまで広範な議論を展開してもらいたいと思います。
 皇太子ご一家のオランダでの静養の様子をテレビで見ていて、それを強く感じました。日本とオランダでは国民と王室との関わり方に違いがあるようですね。のびのびとされ、明るく笑顔の絶えない皇太子ご一家を見られることは国民にとってとても良いことですものね。

<美智子さまのポーズ>

 松崎 私は初等科一年生の時に終戦を迎えたんですが、昭和二十二年、三年生の時に軽井沢の林間学校に行きまして、その時、初めて「皇室体験」をしました。たまたま上野駅から乗った汽車が横川の駅で、昭和天皇と皇后を乗せた御料車とすれちがったんですね。「窓を閉めてください」という車内放送があって、隣の線路を走る御料車が見えた時、僕らを引率していた先生が目の前で、「バンザーイ」とやって涙を流したんですよ。
 それまで僕らは、天皇陛下は間近に見たら目がつぶれるという教育を受けてきたでしょう。かりにも目の前を通り過ぎるようなことがあれば、通り過ぎるまで頭を上げてはいけないと教えられていました。それがいきなり「バンザーイ」ですから、先生の姿が異様に映ったわけですよ。あれは忘れられない驚きであり、同時に皇室が変わりつつあるんだと実感した体験でしたね。

 岡田 私は昭和三十七年生まれですから、昭和天皇というとまるきり晩年のお姿しか知らず、飄々としたおじいさんのイメージを持っていますが、それでも強いカリスマ性を感じましたね。
 亡くなる直前の昭和六十三年、私はまだ学生でしたが、歴史の変わり目を自分の目に焼き付けておきたいと思って、皇居前広場までお見舞いの記帳に行ったことがあります。
 昭和天皇は戦前、神聖にして侵すべからず、現人神として崇められていましたが、当時からご自身は皆と少しも変わらぬ体をもった人間であるとおっしゃっていたそうですね。「天皇機関説で結構。美濃部(達吉)は決して不忠な者ではないと思う」と側近には漏らされていたとか。ですから戦前からある意味では象徴天皇でいらしたわけだけれど、戦後、人間宣言をされてからは、国民の目にもより親しい存在となられ、戦前、戦後と二つの御世を生き抜かれました。

 松崎 ええ、だから昭和天皇も戦後はすっかりイメージが変わられたんですね。私の中では皇室は戦後ずっと変わってきて、昭和三十四年のご成婚の頃に、いちばん大衆に身近になったというか、自由な雰囲気を持っていたという印象があります。
 天皇皇后が、新婚時代にお住まいになっていた渋谷の常盤松にあった東宮仮御所(昭和三十五年までお住まい)なんて、ふつうのおうちと変わりませんでしたからね。美智子さまも土日などは近くの花屋さんにお買物に出られたり、街の中まで犬を連れて散歩に出られたりするんで、僕らはいつも外で待ち構えていました。美智子さまはカメラマンを見かけると、必ずちょっと立ち止まってポーズしてくれたんですよ。あの頃は“普段着の皇室”に接することができる時代でした。

 岡田 いまの陛下は、民主主義の空気を吸って成長され、象徴天皇となるべくして育ってこられましたが、美智子皇后とお二人で象徴天皇像をきっちりとお作りになった方だと思います。その意味でやはり新たな御世を築かれたわけですね。

 松崎 その通りだと思います。平成の御世になって、災害現場への慰問は無論のこと、先の大戦にかかわる硫黄島などへの慰霊の旅など、昭和天皇の時代にはできなかったことを新しく切り開いてこられましたからね。

 岡田 私としてはこれから先、皇太子ご夫妻がどんな皇室像を作られるのか期待したいと思っています。雅子さまも当面はご体調の回復を最優先され、やがては皇太子さまと協力して新しい皇室像を国民の目に見せていただきたいですね。

 松崎 いま皇太子ご夫妻は、新しい時代に向けて新たな皇室像を生み出すための苦しみの段階にあるとも言えるのではないでしょうか。そのために多少気が焦り、二年前には「人格否定発言」とよばれる会見までして物申したわけです。雅子さまが苦しんでおられる「適応障害」というご病気の元も、意外にそういう葛藤に原因があるんじゃないかなという気がするんですけどね。

 岡田 生みの苦しみなのでしょうか。しかし、変わって行くものがあるいっぽうで、変わらないでいただきたいところもあります。やはり皇族は日本国民の安泰のために祈る存在であり続けて欲しいと思いますね。宮中祭祀は頻繁に行われるので天皇皇后、そして皇太子ご夫妻にはさぞご負担でしょうが、少し負担軽減も検討しながら、永続させていただきたいと思います。

 松崎 元旦に行われる四方拝は午前四時からお祈りする儀式です。二年ほど前にその一部がビデオ「天皇陛下古希をお迎えになって」(菊葉文化協会)の中で公開されました。

 岡田 政治家もなかなか睡眠時間が取れませんけれど、皇族方は本当に大変だなと思いますね。祭祀というのはあまりオープンにはできませんが、祈る存在としての皇族方のご努力が、もう少し国民の目に触れてもいいような気がします。

 松崎 お気の毒なのは、今は皇太子ご夫妻のほうから国民にむけて発信したり、行動することが難しくなっていることですね。テロの危険は昔に比べれば低くなったと思いますが、宮内庁や警察が過剰な警備をするようになったために、生活全般にかなりの制約を受けるようになりました。東宮御所、あるいは那須や葉山の御用邸に入られても、警察官が十重二十重に取り囲んで、外との接触がなかなか難しいからお気の毒です。おそらく皇太子ご夫妻もそんなことは必ずしも願っていないのに、周囲が許さない状態が続いていますね。
 そういったままならない状況が東宮ご一家のオランダご静養につながっているのでしょう。アペルドールン市にある「ヘット・ロー宮殿」に約二週間ご滞在される予定ですが、このお城は鬱蒼とした森と深いお堀に囲まれており、プライバシーは完全に確保されているようです。きっとお医者さんの配慮もあるのでしょう。

 岡田 オランダ行きには賛否両論があるようですが、皇太子ご夫妻が次の天皇皇后であることは間違いない事実です。かけがえのない方たちなのですから、温かく見守ってほしいですね。たまにご両親と水入らずでお過ごしになってもいいと思いますし、日本での状況を考えれば、あまり人目につかない外国でのご静養もやむを得ないのではないかと思います。

<秋篠宮流の子育てとは?>

 江森 秋篠宮ご一家を拝見していると、新しい皇室像をどう作るかとか、新しい時代に即した公務はどうあるべきかなど、そんな大上段に振りかぶった議論をする必要はなく、日々の自然な流れの中できちんきちんと答えを見付けていらっしゃるような気がいたします。秋篠宮さまご夫妻も、ご公務を最優先する生活を送っておられますが、お忙しい中でもお時間をつくられて、ライフワークともいうべき学際的な研究を続けておられますね。

 岡田 秋篠宮さまというと、ナマズのご研究が有名ですね。

 江森 ええ、ナマズの研究は八五年に初めてタイをご訪問されて、メコンオオナマズに興味を持たれたのがきっかけだったようです。その後は、ニワトリのルーツに関心を持たれました。宮さまは遺伝子解析などで、タイなどに生息する赤色野鶏が世界中のニワトリの起源であることを突き止めたんです。この研究論文が評価されて、九六年に国立総合研究大学院大学から博士号を授与されました。さらに近年ではニワトリにかぎらず、牛や豚、馬など家畜全体に研究を広げられています。
 さらに二〇〇三年には、宮さまも提唱者の一人となって「生き物文化誌学会」を設立し、生物、民族、歴史、芸術など幅広い分野の専門家や市民を集め、ユニークな学際的活動を続けています。また、二〇〇四年には日本とタイでニワトリを多面的に研究する国際プロジェクトをスタートさせました。これは秋篠宮さまとタイのシリントーン王女との合意を受けて始まったものでした。
 紀子さまもご結婚後に民族音楽の研究に取り組まれていらっしゃいます。宮さまと中国雲南省に出掛けられ、少数民族の音楽や舞踊について調査されたこともございます。

 松崎 この夏は眞子さまが夏休みを利用して、ウィーンにホームステイされましたね。ウィーンは紀子さまが幼少期をすごされた土地でもあり、今回のホームステイ先も川嶋家の知人のお宅です。
 秋篠宮さまご自身が中学二年のときにニュージーランドにホームステイされてますから、おそらくご自分が小さい時に経験してよかったことはさせておきたいというお気持ちから生まれた試みなのでしょう。愛子さまの将来にも非常にいい参考になるんじゃないでしょうか。

 江森 秋篠宮家の子育ては、その子のいいところを伸ばしてあげたいというお考えが基本のようです。ですから親が束縛したり、ああしろこうしろと指図するのでなく、とにかく自然にのびのびと育てたいというお考えが強いようです。今回のウィーンのホームステイも眞子さまのお気持ちが尊重された結果だともいえるのではないでしょうか。
 そういえば、二〇〇三年の夏休みにもご一家でタイを旅行されていましたね。あれも皇室では珍しいといえませんか。

 松崎 あの時は観光地を訪れるだけでなく、バンコクの小学校を訪れたり、秋篠宮さまの名誉博士号の授与式にご出席されたりしていましたね。異文化交流を小さいときから経験させたいというご意向があるように感じました。プミポン国王夫妻の夕食会にご一家で招かれたこともあったようですから、小さいお子様にはいい経験になったはずです。

 江森 何も秋篠宮家のやり方ばかりが良いというわけではありませんが、こうやりたい、ああしたいと声高におっしゃらなくても、ご自分たちが考えて、「よかれ」と思われることは、どんどん積極的になさるのがよろしいのではないでしょうか。そういった行動をひとつひとつ積み重ねるうちに、ご自分たちの考え方や意見といったものを、あえて公式の場で表明されなくとも、自然な形で国民に理解してもらえるようになるという気がいたします。
 もちろん皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻、ほかの皇族方では各々立場が違いますので、一概にこうすべきだとは言えません。しかし、「よかれ」と思ったことはまず始めてみる。その小さな一歩がやがて大きな流れを形作るように思います。私は秋篠宮さまを間近に見ていて、約二十年に及ぶご研究の歩みの中に、そういった宮さまのお気持ちを感じ取ることができます。派手なパフォーマンスではない、目立たないけれども確実な積み重ねがやがては大きく花開くように思います。ですから、周囲の人々も皇族方が「よかれ」と思って行動しようという際には、是非とも前向きに考えてあげて、背中をポンと押していただきたいと希望いたします。

<お手本は両陛下>

 岡田 お世継ぎの教育といえば、皇室典範の改正論議の時には帝王学が話題になったことがありましたね。三歳くらいから始めなければ間に合わないとか、そんな説もでましたが、それほど急ぐべきことなのか、実は前々から疑問を感じていました。
 もちろん日本の古典や歴史、それにさまざまな国際的な素養も身に付けていただきたいとは思うんですけれど、何よりも日本国の象徴として国民のことを思いやる気持ちをお持ちいただくことが一番大事なことなのではないかなと思うんですね。
  「敬宮愛子」というお名前の出典は「孟子」だそうですが、私が連想しますのは西郷隆盛も好んだ「敬天愛人」という言葉です。天を敬い、人を愛する。愛子さまだけではなくて、皇族みなさんに必要な素養は何かと問われれば、「天を敬い、人を愛する」ことに尽きるのではないかなと思うんですね。
 阪神大震災や中越地震の時などに、天皇皇后が避難所を見舞って、床にひざをついて被災者に声を掛けられているお姿を拝見すると、国民は素直に感動できますものね。ですから帝王学と言っても、何か特別な教育を施す必要はなくて、大事なのはやさしさとか、思いやりとか、慈しみの心を育てることではないでしょうか。

 松崎 帝王学というと、昭和天皇がお元気だった頃は、毎週一回、いまの天皇ご一家が御所にうかがって、お食事をされながら団欒されてましたね。お直に昭和天皇のお話をうかがうことで、いろいろ学ばれたと聞いています。昭和天皇がご幼少の時は、御学問所で杉浦重剛とか立派な教育家を招いてお勉強されてましたけれど、いまの天皇の場合は、とくに御学問所は用意されなかったんですね。愛子さま、眞子さま、佳子さまの場合も、御所で両陛下からいろいろとお話をお聞きして、振る舞いについて学ぶことに勝る教育はないのではないでしょうかね。

 江森 秋篠宮さまから、天皇、皇后両陛下がお手本だとお聞きしたことがございます。秋篠宮ご夫妻は、両陛下の生き方を、一番身近で学ぶことのできる幸せなお立場にあると思います。身近に素晴らしいお手本があるわけですから、ご自分たちのご公務や研究活動、あるいは家庭生活などについても両陛下を参考にして、実践していくことが大切ではないでしょうか。
 よく天皇、皇后両陛下は「国民とともにある皇室」という言葉を口にされますけれど、やはり皇室が国民感情から大きく遊離してしまわれては困ります。国民とともに歩まれながら、いつまでも国民の苦しみや悲しみ、あるいは喜びを汲み取ってくださるような存在であって欲しいですね。
 先ほどの眞子さまの外国体験についても、これだけ国際化が進んだ世の中で国民とともにあるためには、皇族として国際経験を積んでおくことは大切であり、時代の流れに即したものであるというご認識が秋篠宮ご夫妻に基本としてあるからこそ実現されたのだとも思います。

 岡田 民主主義の世の中にあって、生まれながらに特別な存在であるというお立場は時に苦しく、自由を求めたくなることもあるかと思うんです。ヨーロッパの国には金持ちのドラ息子と見まがう王族がたまにいますが、日本の皇室はいつまでもそんなこととは無縁であって欲しいですね。なにかと制約がつきまとい、わが身を犠牲にされなければならないお立場ではありますが、国民に支えられながら、祈り続ける存在であるという認識だけは気持ちの中に持ち続けていただきたいと思います。そうである限り、お世継ぎの問題がいろいろ生じたとしても、皇室そのものは永遠に日本国と日本国民とともに続いていくことでしょう。

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