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162-参-憲法調査会-4号 2005年3月2日

○岡田直樹君 ありがとうございます。自由民主党の岡田直樹でございます。
  憲法の前文について意見を申し述べます。
  私は今、自民党新憲法起草委員会の前文に関する小委員会で事務局を務めておりまして、先日、党内論議のたたき台又は論点整理ということでざっとまとめたものが早速新聞各紙で様々に論評をされていまして、多少戸惑いを覚えておりますけれども、それは同時に、憲法、特に前文に対する関心が非常に高いことの表れであろうと、こういうふうに受け止めております。今日は、自民党の考え方ではなくて、参議院に入ってまだ半年の私のあくまでも個人的な意見を自由に申し上げたいと思います。
  結論から申せば、現行憲法の前文にうたわれておる国民主権、平和主義、基本的人権といった人類普遍の原理を揺るぎないものとして確かに受け継ぎながら、しかし前文は全面的に書き直すべきであろうと考えております。
  第1に、今の前文の平和主義は大変高い理想を掲げた良きものであると思いますけれども、中には理想を通り越して空想にすぎない部分もあるのではないかと、こう思うわけであります。憲法9条についても、一項は理想として良いものですが、二項は空想にすぎない。理想は堅持しながら空想は排除すべしと考えておりますが、前文についても同じことが言えると思います。
  特に前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と、こううたわれておりますけれども、自国民の安全と生存を他国の善意に依存し、ゆだねてしまうというのは、いかにも人任せのようであり、どうしても無責任な印象を免れないのであります。なおかつ、世界には到底平和を愛するとは言い難い国家や勢力が現に存在いたします。
  私は、平成9年、当時の自社さ連立と言っておりました三党の訪朝団に新聞記者として同行をし、北朝鮮を取材いたしました。田先生もその訪朝団のメンバーでいらっしゃって、いろいろと教えていただいたものであります。翌10年には自民党単独の訪朝団が行きまして、そのときは桜井先生もいらっしゃいました。私は、これにも同行をしました。そのとき、北朝鮮という国が大変な個人崇拝に基づく恐るべき軍事独裁国家である、そして人権侵害国家であるということを肌で痛感しまして、自分もそれまで記者としての認識が甘かったということを深く恥じ入ったものであります。
  日本人が全体として、拉致という北朝鮮の国家的犯罪、これは日本の主権の侵害であり、すなわち侵略であると思いますが、これを見過ごしてきた、そしてその結果、自国民の安全も生存も守ることができなかった。また、さかのぼって言うならば、戦後の帰国事業において多くの在日朝鮮人や日本人妻たちの渡航、すなわち地上の楽園というプロパガンダを信じて多くの人が実際には自由も人権もない生き地獄のような国に渡るのを見過ごした、このことについて私たち日本人は多少なりとも自責の念を持たねばならないと思います。
  今の前文にこうあります。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」、こううたっておりますが、日本人拉致被害者が味わった恐怖、そしてその安否すら分からない身の上を思うとき、また、現にあの将軍様の圧制の下で罪もない北朝鮮人民が恐怖と欠乏にうめいていることに思いを致すとき、日本人はこの憲法の前文をほごにしてきたと言わざるを得ないと思います。
  また、裏を返せば、理想的に過ぎて空想的な憲法によってはこの厳しい国際社会の中で国民の安全と生存を確保することは困難であると考えます。
  今、戦後60年の歴史も踏まえて、憲法9条とともに前文も見直すときが来たのだと思います。我々の安全と生存は、国連や同盟国とともに我々自身で守らねばならない、こう思います。
  かつての戦争の悲惨さを胸に刻み、二度と他国を侵さないことを改めて誓った上で、もし日本を侵す者があれば、我々は断固として自衛する権利と力を有することを内外に明らかにすべきだと私は思います。
  さらには、日本国民のみが基本的人権を謳歌して、他国における人権じゅうりんに目をつぶることがあってはならないと思います。その点で、先ほども挙げました、憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と言い、また、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と。これは至極当然のことでありますが、私はこれでもまだ足りないと思います。私は、日本人が進んで国際平和と人権擁護に貢献する決意を新しい憲法の前文にうたい上げる必要があると信じます。
  もう一つ、前文を書き改めるべき理由を簡単に申し上げると、もうもはや繰り返すまでもないことですが、これがアメリカの占領軍によって強いられた憲法であるという点であります。なるほど、形式的には帝国議会の審議を経ておりますが、占領軍から示された案の骨格を変えるような自由意思は当時の日本国民には存在しませんでした。
  当時、憲法起草に加わったベアテ・シロタさん、この参議院の憲法調査会においてもこう証言しておられます。「多分その一週間でつくった憲法はいい憲法だと思います。」。しかし、それはマッカーサー元帥もホイットニー准将もあるいはケーディス大佐も同様に、一週間でまずまずのでき栄えの憲法ができた、こう思っていたのではないかと思います。
  たとえ民間人もいたとはいえ、軍人を中心とする少数の人々の手で、しかも1週間でまとめられた憲法を60年近い間見直すことがなかったというのは世界的にも珍しく、余り名誉なこととは言えないように存じます。
  さかのぼって、明治憲法も国民の代表者によって定められたとは言い難い。結局、21世紀を生きる我々が、我々日本国民がいまだに一度も自らの意思で主権者として憲法を制定できていない事実は大変残念であります。今こそ歴史上初めて日本国民が民主的な手続を踏んで、そして自由な意思を持って、だれにも強いられることがなく憲法を定めるときであり、そのことを、前文にその歴史的な意義をうたうべきであると考えています。
  その際、私は、前文に日本の自然、歴史、伝統、文化といったものを織り込むことも良いと思いますし、また、未来に向かって生きる日本人の指針、例えば地球環境の保全といったテーマも前文にはふさわしいものだと考えております。これからも日本国民は様々な苦難に遭遇すると思います。そうしたときに国民が心を一つにして頑張ることのできるような、そんな何か心の応援歌のような、分かりやすく美しい日本語の前文を持ちたい、これが私の念願であります。
  以上、私見を申し上げました。どうもありがとうございました。

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